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HISTORY

1937年

3月8日

Mar. 8th

1937

すべての始まり

The Beginning

古くから商業の中心地であった日本橋。紅花の歴史は、その日本橋に青木湯之助がジャズ喫茶エリントンを開店したのが始まりです。

ジャズのレコードを聴きながらコーヒーが飲めるお店として、当時は流行の最先端だったそうです。

Nihonbashi has been the major financial district in the center of Tokyo for centuries. This is where the legacy of Benihana began when Yunosuke Aoki opened “Ellington”, an innovative jazz music cafe. At this cafe you could enjoy your coffee while listening to jazz music, which was hip and a modern concept in Japan at the time.

1943年

甘味に飢えた日本

太平洋戦争さなか。戦局が厳しくなるに連れて、世の中はとてもジャズ喫茶どころではなくなり、肝心のコーヒー豆も入手困難な状況となりました。

そのような戦時経済体制下で湯之助は「人々は甘いものに飢えている」と感じていました。丁度エリントンの隣が空き家となっており、そこを借りてお汁粉屋日本ばしを開店しました。

1945年

10月18日

一輪の紅い花

終戦を迎えた日本。疎開先で放心状態にあった湯之助の耳にジャズの音色が聞こえてきました。懐かしいそのメロディを聴いているうちにふつふつと意欲が蘇ってきました。

東京に戻った湯之助は何もないところから店を建て、再びお汁粉屋を始めました。名前は紅花。妻のかつにより、戦後の焼け野原に咲いた一輪の紅い花に夢をたくしてそう名付けられました。

1956年

12月

銀座に進出

日本橋に3つもの店舗を出店し、ますます勢いに乗る湯之助の次の狙いは商人あこがれの地、銀座でした。

​昭和31年の夏、銀座六丁目のチキン料理店が売りに出ました。熟考の末これを買い取った湯之助は店内の大改装に着手。4ヶ月の工期を経て紅花銀座店は開店しました。

1964年

4月6日

海を渡る紅花

紅花銀座店を成功させた湯之助は、いよいよ兼ねてからの夢であったアメリカ進出を目指します。

当時は渡航や外貨持ち出しも制限されていた時代です。そこでレスリングの選手であった息子を現地に送り込み、自身はマネージャーとして渡米。4年に及ぶリサーチの末、ニューヨークはマンハッタンにほどよい場所を見つけました。

内装は日本から合掌造りの建物を移送。シェフがリズミカルな動きで肉を焼くパフォーマンスを武器に、1964年にBENIHANA OF TOKYOを開業しました。

1986年

8月29日

本社ビル竣工

これまで順調に店舗数を伸ばしてきた紅花。国内の支店も20店舗近くとなり、いよいよ従来の木造建事務所では手狭になってきました。また建物の老朽化も進んでいたので新築工事に着工。1年を掛けて地上9階建の紅花ビルが完成しました。

2018年

10月16日

紅花のセカンドライン

紅花別館よりカジュアルな店舗を作ろうというコンセプトのもと、モンタルチーノを改装して出来た姉妹店が紅花グリルです。

料理は紅花の歴史を受け継いだ肉料理を中心に。これに紅花別館で大人気商品となったココットカレーを用意しました。

1950年

5月1日

株式会社紅花を設立

湯之助やスタッフの必死の努力により、オープンから一年も経たぬうちに紅花は日本橋でも屈指のコーヒー店となりました。

そうなってくるといつまでも個人企業の枠にとどまっているわけにはいきません。1950年に株式会社紅花へと法人化しました。

1950年

10月12日

珈琲専門店からレストランに

珈琲専門店は日本橋で人気の店となりましたが、それに飽き足らない湯之助は、しばらくして次の商売を考え始めました。本業のコーヒー店と親和性の高いレストランです。

湯之助は店舗の2階の一部を改装してレストランを始めます。これがレストランとしての始まりです。翌年7月には2階全てをレストランに改装し、ますます繁盛していきました。

1953年

2月18日

初めての支店

レストランの成功に自信を得た湯之助は、日本橋2丁目(旧加藤ビル地階)に支店(のちに紅花二丁目店に改称)を開店しました。

​本店よりいくらか高級にするなど差別化を図り、支店の特色を出すことに成功。半年で本店に匹敵する売上を上げるようになりました。

1955年

10月

バーベキュー紅花=紅花別館

会社も成長を続け、湯之助は事務所が必要と考え、川向かいに住居兼事務所を構えました。その後は、ベーカリー、洗濯工場、農場などの関連施設を次々とオープンしていきます。
そして1955年、以前から興味を持っていたバーベキューの店バーベキュー紅花を本店近くに開業。これが今も続く紅花別館の前身です。バーベキュー紅花は1962年11月
に増築し、1階を鉄板焼き、2階を洋食とし紅花別館と改称しました。

1992年

5月30日

紅花本店閉店

本店の場所に新たにビルが建つこととなり、長い本店の歴史に一旦ピリオドが打たれます。

1993年

紅花二丁目店閉店

かねてより計画中であった加藤ビルの建て替えが決まり、40年近く営業してきた支店も閉店となりました。

1994年

12月

帰ってきた紅花本店

建て替え中であった加藤ビルの建築が終わり、紅花も新装開店。

​新たにここを本店としました。

1994年

12月

新業態にチャレンジ

旧加藤ビルは地階に紅花一店舗のみでしたが、新しい加藤ビルは地階に3店舗入ることになりました。紅花はそのうち2区画を借り一つは本店に、もう一つは新業態の居酒屋風レストラン紅花亭としました。

2004年

9月21日

イタリア料理店へ

この年、本店を閉鎖。紅花亭は数年前より賃貸をしていたのですが、新たにイタリア料理店へとリニューアル。店名をモンタルチーノとし生まれ変わりました。

1945年

3月10日

東京大空襲

順調に営業を続けていた日本ばしですが、戦争のはげしい嵐は次第に強くなっていきます。エリントンも館という名に変更させられ、次第に開店休業状態に追い込まれていきます。

戦火による人手不足の中それでも懸命に働いた湯之助ですが蒲田の町工場へ徴用されることとなり、ついに両店とも閉店することとなりました。

そして東京大空襲。日本橋は一面焼け野原。館も日本ばしも消失してしまいました。

1947年

11月

甘味屋から珈琲専門店に

戦後、コーヒーなども出回り始め、東京にも進駐軍やサラリーマン相手のコーヒー店がぽつぽつとオープン。「これからは、人々がコーヒーに癒しを求めるようになる」と感じた湯之助は店舗の改装に取り組み、珈琲専門店紅花として新装オープンしました。

2004年

AOKIタワー竣工

1997年に閉店し駐車場となっていた銀座店の跡地に地上9階・地下1階建のテナントビル、AOKIタワーが建築されました。

株式会社 紅花

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